2013年5月13日月曜日

田楽からおでん/調味料歳時記

地域によって違いますが、5月は田植えの時期。今年も秋には田んぼが黄金色になるでしょう。平安時代、農村では田植えの時に笛や太鼓を鳴らして歌い踊る風習、「田楽」(諸説あるなかの一説)がありました。やがて舞いを職業にする田楽法師が現れます。白い袴を履き、その上に色のついた上着を羽織った衣装で鷺足(竹馬の様なもの)に乗り踊る。豆腐=白袴/色付きの上着=味噌/鷺足=串、田楽法師の衣装にそっくりなことから、豆腐の串焼きのことを「田楽豆腐」略して「田楽」と呼ぶ様になりました。その後、室町時代に、すり鉢が登場し味噌をすり潰して調味料として使う様になり、味噌を塗って焼いた「味噌田楽」が誕生します。



やがて御所で使われていた女房ことばが広がり、田楽は「おでん」と呼ばれるようになります。串焼きの手軽さから村から村へ広がり、食材もこんにゃくや野菜、魚など様々な田楽が生まれます。その後、江戸時代には煮込み田楽が登場し、素材を出汁で温め甘味噌をつけて食べる様になりました。さらに江戸近郊ではしょうゆ・みりん醸造が盛んになっていたので、かつおだし/醤油/砂糖/みりんを入れた甘い汁で煮込むようになり、「おでん」が登場しました。江戸後期には現代のようなおでんになったようです。せっかちな江戸っ子には豆腐田楽よりもおでんのほうが都合がよかったのかも知れませんね。関東から関西へ伝わったおでんは「関東煮(かんとうだき)」といわれます。これは焼き田楽と区別するためだったいう説もあります。その後のおでんは各地で出汁/醤油/具材などが複雑に変遷をとげ、独自の食文化が形成されていきます。味噌も醤油も味覚の基本味・五味がそろっていると言われています。田楽・おでんともに全国に広がっていったのは 必然的だったのかも知れません。




先述の田楽法師らが舞った「田楽」は芸能の意味もあります。食べ物とは別な歴史を歩みます。鎌倉時代には流行ったものの室町時代には衰退します。それでも現代でも全国各地で踊り系のもの、田はやし系のものが神社などで民族芸能として行われています。

2013年6月1日(土)つくばエクスプレス/流山おおたかの森駅前にて森のみりんマルシェというイベントを開催。そのイベントにおいてみりんのワークショップを担当します。流山市・森のマルシェのfacebook『調味料歳時記』というコラムを執筆しています。このブログと相互リンクされていますのであわせてご覧ください。
http://www.facebook.com/morinomarche

0 件のコメント:

コメントを投稿