2013年5月21日火曜日

鰹の物語/調味料歳時記


目には青葉 山ほととぎす 初鰹」。初夏を代表する風物詩が並んだ、江戸時代の俳人・山口素堂が詠んだ句です。春から夏にかけて黒潮にのって北上し、今頃関東で水揚げされる鰹を古くは「初鰹」と呼んでいました。江戸では初物を食べることを粋とされ、75日長生きするとの言い伝えがあり、その中でも勝男の縁起物とされた初鰹はその10倍・750日長生きすると言われました。その為、初鰹は高値になります。当時は芥子をつけて食べたので、芥子をつけて食べたので、高値と芥子で二度涙する…という川柳が残っているほどです。なお鰹漁は、醤油の製法と共に紀州から伝えられたものでした。



縁起物としては珍重されますが、傷みが早く保存がきかないため近海にやってこない限り町民は食べることができませんでした。関東近海にくるまさにその時を狙って獲ったのが初鰹です。黒潮と親潮の混合水域となる三陸沖は餌が豊富にあるため、夏の間留まった鰹は栄養をたっぷりと蓄えて、大きくなって今度は秋に南下します。これが「戻り鰹」となります。実際には脂がのって美味しいのは、この戻り鰹です。身が締まって軽やかな香りのある初鰹を好んだとされますが、わざわざさっぱりしたほうを選ぶ当たりが、江戸っ子特有のやせ我慢なのかも知れませんね。

江戸っ子と同様に初鰹を好んで食べたのが当時の土佐の人々。鰹のたたきの発祥の地とされ、醤油が貴重品だったことから、当初は塩をふって食べたと伝承されています。土佐の鰹の歴史は、初代土佐藩主山内一豊が生の鰹を食べて食中毒になった領民に刺身禁止例をだしたため、表面を焼くことで焼き魚と偽って食べた説と漁師が船上で食べていたまかない料理説、諸説あるようです。今もなお、醤油と酢/醤油とゆず酢/醤油のみ/酢みそなど、地域によって伝えられてきた調味料(タレ)が違います。江戸っ子も土佐の人々も、より美味しく食するために調味料を用いたのですね。

一方、太平洋から離れていた関西地方では、保存食つまり鰹節の歴史を辿ります。「勝男武士」の文字が充てられ、こちらも縁起のよい食材として好まれました。鰹節は、釜で煮て干して表面にカビを繁殖させて、それを削って乾かしてまたカビを繁殖・・・多くの工程を要することで高級品となりました。鰹節のイノシシ酸が、北前船で運ばれてきた昆布のグルタミン酸と出会い京料理のような「出汁」を基本とする関西の料理が生まれてきたようです。

2013年6月1日(土)つくばエクスプレス/流山おおたかの森駅前にて森のみりんマルシェというイベントを開催。そのイベントにおいてみりんのワークショップを担当します。流山市・森のマルシェのfacebook『調味料歳時記』というコラムを執筆しています。このブログと相互リンクされていますのであわせてご覧ください。
http://www.facebook.com/morinomarche

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