2013年5月28日火曜日

梅と、さしすせそ/調味料歳時記


今年は季節の移り変りが早く、関東地方も、もうすぐ梅雨入りしそうですね。「梅雨(つゆ)」と呼ばれるようになった理由は、諸説あるようです。「露(つゆ)」に由来するという説。梅の実が熟す時期「つはる」に由来するという説。梅の実が熟し潰れる時期「漬ゆ(つゆ)」との関連を指摘する説など…。四季のある日本では、季節の変化に伴い雨のよく降る時期があります。その「梅雨」の語源の「梅」がまさに旬を迎えます。「梅」は三毒を絶ち、その日の難を逃れると言われています。三毒とは、食べ物の毒、血の毒、水の毒です。

古来より梅の効能は認められていますが、現代では下記のような働きがあることが分かっています。

1 クエン酸などの有機酸による疲労回復に優れた効果
2 クエン酸などの有機酸によるカルシウムの吸収促進
3 糖とクエン酸が、加熱することで生まれる「ムメフラール」という成分の
  血流改善効果
4 代表的なアルカリ性食品のため、酸性になりがちな体を中和できる
5 唾液の分泌を促進することにより、唾液に含まれる消化酵素やホルモンが、
  血管の若さを保ち、また皮膚や毛髪の発育を助ける
6 梅干しのカテキン酸は強力な殺菌効果あるので、
  お弁当のご飯などを腐りにくくする、また胃腸内の病原菌の細菌や繁殖を抑える

他にもまだまだ効能・効果はあります。現代は科学的に証明できることが増えていますが、効き目を経験で感じ取り、それを今の世まで伝えてくれた先人達の知恵に感謝ですね。

梅干し、梅酒、梅シロップなど、梅にまつわる作業をいわゆる『梅しごと』といいますが、これからがまさにその季節です。写真の梅シロップの材料は、梅と氷砂糖のみ。酸っぱさと甘さを楽しめる、夏を乗り切る、我が家の定番ドリンクです。



そして、梅とさしすせそ(砂糖/塩/酢/醤油/味噌)は大の仲良し!
さ/梅シロップ、梅の甘露煮、青梅の砂糖漬け、梅ジャム、梅酒
し/梅干し
す/梅サワー、梅の甘酢漬け
せ/梅しょうゆ
そ/梅みそ
梅は、店頭に出回る期間が限られているので「梅カレンダー」を作って今年はいろいろ挑戦してみましょう。

2013年6月1日(土)つくばエクスプレス/流山おおたかの森駅前にて森のみりんマルシェというイベントを開催。そのイベントにおいてみりんのワークショップを担当します。流山市・森のマルシェのfacebook『調味料歳時記』というコラムを執筆しています。このブログと相互リンクされていますのであわせてご覧ください。
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2013年5月21日火曜日

鰹の物語/調味料歳時記


目には青葉 山ほととぎす 初鰹」。初夏を代表する風物詩が並んだ、江戸時代の俳人・山口素堂が詠んだ句です。春から夏にかけて黒潮にのって北上し、今頃関東で水揚げされる鰹を古くは「初鰹」と呼んでいました。江戸では初物を食べることを粋とされ、75日長生きするとの言い伝えがあり、その中でも勝男の縁起物とされた初鰹はその10倍・750日長生きすると言われました。その為、初鰹は高値になります。当時は芥子をつけて食べたので、芥子をつけて食べたので、高値と芥子で二度涙する…という川柳が残っているほどです。なお鰹漁は、醤油の製法と共に紀州から伝えられたものでした。



縁起物としては珍重されますが、傷みが早く保存がきかないため近海にやってこない限り町民は食べることができませんでした。関東近海にくるまさにその時を狙って獲ったのが初鰹です。黒潮と親潮の混合水域となる三陸沖は餌が豊富にあるため、夏の間留まった鰹は栄養をたっぷりと蓄えて、大きくなって今度は秋に南下します。これが「戻り鰹」となります。実際には脂がのって美味しいのは、この戻り鰹です。身が締まって軽やかな香りのある初鰹を好んだとされますが、わざわざさっぱりしたほうを選ぶ当たりが、江戸っ子特有のやせ我慢なのかも知れませんね。

江戸っ子と同様に初鰹を好んで食べたのが当時の土佐の人々。鰹のたたきの発祥の地とされ、醤油が貴重品だったことから、当初は塩をふって食べたと伝承されています。土佐の鰹の歴史は、初代土佐藩主山内一豊が生の鰹を食べて食中毒になった領民に刺身禁止例をだしたため、表面を焼くことで焼き魚と偽って食べた説と漁師が船上で食べていたまかない料理説、諸説あるようです。今もなお、醤油と酢/醤油とゆず酢/醤油のみ/酢みそなど、地域によって伝えられてきた調味料(タレ)が違います。江戸っ子も土佐の人々も、より美味しく食するために調味料を用いたのですね。

一方、太平洋から離れていた関西地方では、保存食つまり鰹節の歴史を辿ります。「勝男武士」の文字が充てられ、こちらも縁起のよい食材として好まれました。鰹節は、釜で煮て干して表面にカビを繁殖させて、それを削って乾かしてまたカビを繁殖・・・多くの工程を要することで高級品となりました。鰹節のイノシシ酸が、北前船で運ばれてきた昆布のグルタミン酸と出会い京料理のような「出汁」を基本とする関西の料理が生まれてきたようです。

2013年6月1日(土)つくばエクスプレス/流山おおたかの森駅前にて森のみりんマルシェというイベントを開催。そのイベントにおいてみりんのワークショップを担当します。流山市・森のマルシェのfacebook『調味料歳時記』というコラムを執筆しています。このブログと相互リンクされていますのであわせてご覧ください。
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2013年5月13日月曜日

田楽からおでん/調味料歳時記

地域によって違いますが、5月は田植えの時期。今年も秋には田んぼが黄金色になるでしょう。平安時代、農村では田植えの時に笛や太鼓を鳴らして歌い踊る風習、「田楽」(諸説あるなかの一説)がありました。やがて舞いを職業にする田楽法師が現れます。白い袴を履き、その上に色のついた上着を羽織った衣装で鷺足(竹馬の様なもの)に乗り踊る。豆腐=白袴/色付きの上着=味噌/鷺足=串、田楽法師の衣装にそっくりなことから、豆腐の串焼きのことを「田楽豆腐」略して「田楽」と呼ぶ様になりました。その後、室町時代に、すり鉢が登場し味噌をすり潰して調味料として使う様になり、味噌を塗って焼いた「味噌田楽」が誕生します。



やがて御所で使われていた女房ことばが広がり、田楽は「おでん」と呼ばれるようになります。串焼きの手軽さから村から村へ広がり、食材もこんにゃくや野菜、魚など様々な田楽が生まれます。その後、江戸時代には煮込み田楽が登場し、素材を出汁で温め甘味噌をつけて食べる様になりました。さらに江戸近郊ではしょうゆ・みりん醸造が盛んになっていたので、かつおだし/醤油/砂糖/みりんを入れた甘い汁で煮込むようになり、「おでん」が登場しました。江戸後期には現代のようなおでんになったようです。せっかちな江戸っ子には豆腐田楽よりもおでんのほうが都合がよかったのかも知れませんね。関東から関西へ伝わったおでんは「関東煮(かんとうだき)」といわれます。これは焼き田楽と区別するためだったいう説もあります。その後のおでんは各地で出汁/醤油/具材などが複雑に変遷をとげ、独自の食文化が形成されていきます。味噌も醤油も味覚の基本味・五味がそろっていると言われています。田楽・おでんともに全国に広がっていったのは 必然的だったのかも知れません。




先述の田楽法師らが舞った「田楽」は芸能の意味もあります。食べ物とは別な歴史を歩みます。鎌倉時代には流行ったものの室町時代には衰退します。それでも現代でも全国各地で踊り系のもの、田はやし系のものが神社などで民族芸能として行われています。

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2013年5月7日火曜日

端午の節句 柏餅と粽/調味料歳時記

「端午の節句」にいただく「柏餅」。柏餅は歴史的には江戸時代の徳川幕府、第9代将軍家重・第10代将軍家治あたりに登場します。「柏」は、古来から神聖な木とされていて、新芽が育って出ないと古い葉が落ちない。ということから、家系が途絶えない・子孫繁栄に結びつけ、端午の節句の縁起の良い食べ物とされたそうです。

当初あんの中身は「塩あん」でしたが、江戸時代後期には「小豆あん」「味噌あん」も知られるようになりました。そのなかでも『味噌あん』、これは砂糖が広く使われるようになる以前の名残りです。その原型は平安時代の「葩餅(はなびらもち)」だと伝えられ、さらに古くなると奈良時代の「伏兎(ふと)」と言われたようです。本来は柏の葉を表に包むのが味噌あんで、裏を外側にすると小豆あん入りというのが正式。白あんに白味噌を加えた味噌あんは、東京を中心とした関東地方と、白味噌の食文化圏である京都での定番で、全国的ではありません。なお、柏の木は関西以西には自生していなことで、種類の違う葉を使うことがあるようです。

つぎに、同じく「端午の節句」にいただくものに「粽(ちまき)」があります。こちらは平安時代に中国からの伝来、屈原(くつげん)という詩人の方の悲しいお話が中国で言い伝えられています。粽を食べる風習は柏餅より先に全国へ広がっていたものの、柏餅の出現により、幕末には関東が柏餅、関西が粽となりました。実は今回、下記の粽の写真を用意するため、地元を数件回ったものの扱ってなく、羊羹で有名な虎屋さんで予約して入手したほどでした。関東では手に入りにくいことが今回改めて知り得ました。

最後に菖蒲も端午の節句には欠かせません。菖蒲には、古来から邪気を祓うと力があると信じられていたことに関係があります。さらに柏餅も登場した江戸時代は武家社会ですから、「菖蒲(しょうぶ)」が武を重んじる「尚武(しょうぶ)」を同じこと読みから尚武の節句としても祝われるようになりました。男の子の「端午の節句」と同じように女の子の「桃の節句」も謂れや風習が多く残っていますね。当時は、子供達がすくすくと成長していくことが今のようではなかったでしょうから、子供達の成長を祈って節句を祝うということはとても大事なことだったのでしょう。

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