2013年12月19日木曜日

冬を乗り切る知恵/調味料歳時記


2013年最後の調味料歳時記は、流山が誇る調味料「みりん」を使った冬至のかぼちゃ(南瓜)です。かぼちゃ本来の自然な甘さを味わえる、かぼちゃの含め煮はいかがでしょうか。冬至とは、一年中で昼が一番短く夜が長い日で、今年は来週の12月22日です。

農耕民族である日本人。太陽の恵みが弱まることは、自らの生命が弱まるものと考えました。そのため「一陽来復」といって邪気をはらう儀式をしました。かぼちゃを食べるのはその一つとされています。



なぜ、かぼちゃを食べるかについては、諸説あります。かぼちゃを漢字で書くと「南瓜」ですが、これは「なんきん」とも読みます。運を呼ぶ一つの考え方で「北から南へ=陰から陽へ向かう」ことを意味していると言われています。さらに「ん」のつくものを食べると「運」が呼び込めるとされています。でも実は、かぼちゃの旬は夏。古の人々は夏に収穫し、長く保存できるかぼちゃを冬場の大事な栄養源としました。カロテンやビタミンAが豊富に含まれ、粘膜を保護する効果があります。風邪をひきやすい冬には貴重な食材でした。

そして、冬至の日のもう一つの言い伝えである「ゆず湯」。この日にゆず湯に入ると、一年中風邪をひかないと言われています。ゆず湯は、湯につかって病を治す湯治(とうじ)にかけ、ゆずには融通が利くようにという願いも込められていおり、また強い香りが邪気を祓うとも考えられており、江戸の庶民から生まれた習わしだったそうです。

ゆずに含まれる成分には新陳代謝を活発にして血管を拡張させて血行を促進し、からだを温める効果があり、それが風邪予防、冷え性の緩和にもよいとされています。さらには、果皮に含まれるクエン酸やビタミンCによる美肌効果もあります。香りによるリラックス効果もあり、「ゆず」は冬を乗り切るための万能アイテムです。

「かぼちゃ」や「ゆず」の効果/効能などはいまは科学的に証明することはできますが、古の人々はこれらを経験や知恵などで生み出してきました。こういう風習はずっと後世まで伝えていきたいですね。

流山市・森のマルシェのfacebook『調味料歳時記』というコラムを執筆しています。このブログと相互リンクされていますのであわせてご覧ください。(2013年6月1日(土)つくばエクスプレス/流山おおたかの森駅前にて森のみりんマルシェというイベントが開催され、みりんのワークショップを担当しました。)
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2013年11月5日火曜日

七五三とあめ/調味料歳時記


11月15日は、子供の成長を祝う行事である「七五三」ですね。

七歳女児/「帯解き(おびとき)」
帯の代わりに付け紐を取り、初めて帯を結ぶ儀式。
五歳男児/「袴着(はかまぎ)」
五歳になった男児が初めて袴を履く儀式。
三歳男女/「髪置き(かみおき)」
赤ちゃんから幼児への成長のお祝い。それまで剃っていた髪の毛を幼児にふさわしい髪型にかえる儀式。
上記のように、そもそも、七五三は武家社会での風習でした。始まりは徳川幕府五代将軍、徳川綱吉あたりから執り行われた行事のようです。

晴れ着を着て、手には「千歳飴」と書かれた長い紙袋。飴の細く長い形状には、子供の長寿という願いが込められているのです。その袋にも鶴と亀・松竹梅が描かれている、縁起の良い紅白の飴。江戸時代の浅草寺で、紅白の棒状の飴を「千年飴」と名付けて売り出されたことが、千歳飴の始まりとされています。



甘い味の水「あま水」や「あま味」という言葉から「飴=あめ」という言葉が生まれました。つまり「飴」という言葉の語源は「甘い」なのです。
砂糖や蜂蜜よりも歴史は古く、古来はツタの一種「あまかずら」を細かく刻み、しずくとなって落ちる液体を煮詰めた甘い水を甘味料として使用していました。固形の飴が出回るようになる江戸時代以前は「水あめ」が主流で、調味料としての役割、甘味料として使うことが多かったようです。江戸時代以降は砂糖も高級品ながら、少しずつ一般に広まりあめはお菓子として扱われるようになりました。「飴」は日本古来の伝統的な調味料であり、お菓子といえるのですね。

神社で七五三の光景に出会うと、こちらも思わず笑顔になります。こういう甘くて幸せな風物詩を、大切にしていきたいですね。

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2013年10月7日月曜日

秋の味覚と調味料/調味料歳時記


暑かった夏もようやく終わり、すっかり秋めいてきましたね。秋は新米、果物など、様々な食材に恵まれる季節。この時期、海の幸の代表格といえば「秋刀魚」です。 

秋刀魚が広く食べられるようになったのは、江戸中期。今のように流通が発達していない時代は、輸送にとても時間がかかりました。そのため腐敗防止対策として、塩が振られていました。その塩がなじみ、ほど良い加減で焼いたのものが「秋刀魚の塩焼き」です。脂ののった秋刀魚の塩焼きに大根おろしを添え、お醤油をたらし、すだちを絞る。これぞ秋の味覚。「塩」と「醤油」、そして特産地徳島県では万能調味料ともいわれる「すだち」。実は秋刀魚と調味料の関係は、とっても深いのです。



秋刀魚は、DHAや動脈硬化を防ぐといわれるEPA、そしてビタミンE、A、B12も豊富に含まれている、栄養豊富なお魚。何と店頭に並ぶ秋刀魚は、養殖なしの100%天然もの。旬を美味しくいただきましょう。

そもそも秋刀魚の旬ですが、大まかに考えると8月から11月、その期間のなかには、「はしり」、「さかり(旬)」、「なごり」という3つの時期があります。私たちが住む日本は四季があり、本来は季節ごとに食べごろとなる食材が違うのです。けれども、昨今では様々な食材が通年にわたって出回っているので、旬がわかりにくくなっています。

ではこの旬の3つの時期を同じ様に、ただ塩焼きにするのではつまらないですね。そこでおススメをご紹介。

はしり・・・脂がほどほどで、身が締まっていてあっさりしているので、「お刺身」。醤油は「再仕込み醤油」。再仕込み醤油は、香り・味・色ともに濃厚なので、つけ醤油として万人受け傾向があります。

さかり・・・やっぱり「塩焼き」。脂が乗っていて旨味も多い。塩を振るのは直前ではなく、30分前ぐらいがベスト、程よく塩味が浸透して生臭さも軽減されます。塩は旨味が凝縮された天日塩がおすすめです。そして、醤油は「濃口醤油」。濃口醤油は五味の全てが調和し、また香りがよい。さらにすだちとの相性も抜群です。

なごり・・・最後は脂があってもなくっても美味しい「煮付け」です。醤油は「たまり醤油」。たまり醤油はとろっとする濃度があり、濃厚で独特の味わいがあります。調理に使うとツヤも出ることから煮物に向いています。

今回は「秋刀魚」「醤油」に注目してみましたが、様々な食材の旬に合わせた調味料の使い方を試していくと、それだけでレパートリーも増えますね。


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2013年9月3日火曜日

月と秋の味覚/調味料歳時記

まだ暑い日が続いていますが、少しずつ秋の気配を感じるようになりましたね。一年の中でも秋は、空気が澄み、月が綺麗に見える季節です。今年の十五夜・中秋の名月は九月十九日(旧暦の8月15日)。暦の関係で、中秋の名月は必ずしも満月になるとは限らないのですが、今年は満月での月見を楽しむことが出来ます。



お月見は中国から伝わり、平安時代には貴族たちが月を眺めて宴会を催しました。農作業する際には月の満ち欠けや暦を頼りにしてきたので、江戸時代になると、秋の収穫を感謝する行事として庶民にも伝わります。ススキを稲穂に見立て、月と同じ丸い団子や収穫した農作物をお供えしました。秋の実りの代表である里芋をお供えする地域もあり(実はお団子より歴史が古い様です)、芋名月とも呼ばれます。

ところで、お月見は十五夜の他に、十三夜、十日夜があります。
十三夜は旧暦の9月13日。十五夜に続き月が美しいとされ、名残の月とも言われます。さらに、里芋の代わりに豆や栗をお供えすることから、豆名月、栗名月としても親しまれています。十日夜(とうかんや)は旧暦の10月10日に行われる収穫祭で、東日本が中心です。3日間晴れると良いことがあるとされています。ちなみに月見の風習は本家中国以外に、台湾、香港、韓国、ベトナムにもあるようです。そしてなんとヨーロッパでも?!秋分の日に一番近い満月を収穫月と呼び、その次を狩猟付きと祝うということです。

調味料歳時記の恒例、関東と関西の食べ方の違いシリーズ、なんと月見のお団子までありました。これは今回初めて知ったのでとてもビックリしました。関東は写真にあるような真ん丸。一方関西では、小芋のカタチに尖らします。
今回の機会を逃すと、次に満月と十五夜が重なるのは八年後です。今年は部屋の明かりを消して、お月見を楽しみましょう。甘辛い醤油味のタレ(醤油・みりん・砂糖・)があとをひく、みたらし団子にして食べてみませんか。

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2013年8月6日火曜日

真夏の味わい/調味料歳時記

今年の夏も暑い。それに豪雨や猛暑など天気が不安定。スッキリするには夏の風物詩「かき氷」が一番です。


日本人は冷蔵庫のない遥か昔から氷を食べて涼をとっていました。冬の間に凍った天然氷を切り出し、それを洞窟の奥などを使用し保存。それを氷室と呼びます。「日本書記」にも登場し、また清少納言の「枕草子」では「削り氷にあまづら入て・・・」との記述、意味は削り氷にシロップのように蔓草の一種の甘葛(あまかづら)の汁をかけて・・・という意味になります。京の都の夏は暑くて有名、平安貴族の方々も現代人と同じようにかき氷を楽しんでいたのです。

明治2年に氷水店が開店、2年後には天然氷が商品化され人気を得ました。明治20年になると村上半三郎という人が氷削機を発明します。私たち世代だったら見たことがある、ハンドルをぐるぐると回す氷削機はこのころには形になっていました。その後、昭和初期にはすでに一般化され、味は削った砂糖を振りかけた「雪」や、砂糖蜜をかけた「みぞれ」が定番でした。今でこそ様々な種類のシロップがありますが、シンプルだけど甘い冷たいご馳走だったのではないでしょうか。私が小さい頃にかき氷を作ってくれた父(戦前生まれ)が、「すい(砂糖水)」が一番美味しいとよく言ってました。砂糖(調味料)とかき氷は素敵な関係だったのです!ちなみに、写真は夏みかん果肉の生絞りに、白蜜(蜂蜜)を合わせたシロップ。現代は、かき氷も、いろいろとアレンジされていますね。

そして、なんといってもポイントは「水(氷)」。日本の水の性質はほとんどが軟水。かき氷に適しています。輸入されるミネラルウォーターなどの硬水は癖のある氷になり、シロップの味を消してしまうのです。京都の料亭などでは「水は究極の調味料」だと言われています。素材のそのものの味を生かす日本料理は、水の料理なのです。かき氷は、水の味を堪能できる食べ物なのです。ちなみに全国でも五カ所ほどになってしまった天然氷をつくられている業者さんの「天然水かき氷」。東京でも限定で食べられるところがあるので、探してみてください。昨年食べましたが、じっくりと時間をかけて凍った氷は、削ってもふわっとして優しい食感でした。

余談にはなりますが、出汁をひくということは軟水ならではの方法。関東より関西は硬度がやや低いといわれ、関西が昆布ベース、関東が鰹節ベースの出汁を用いました。昆布の出汁には淡口醤油が/鰹の出汁には濃口醤油というよう調味料の使い方の違いは、この「水」の違いから生まれたものであり大変興味深いです。

最後に調味料歳時記では恒例の関東と関西の食べ方の違いシリーズ。かき氷にもありました。関東は先にシロップを入れてからその上にかき氷をのせる。関西は先に器にかき氷を入れて、上からシロップをかける。真偽のほどはわかりませんが、待つやせ我慢が江戸の粋に対して、まず損得を考える商いの町大阪では美味しい合理性をとるなどの考え方があったようです。

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2013年7月2日火曜日

江戸の調味料と鰻/調味料歳時記

今年は季節の移ろい早いので、もうすぐあのギラギラした夏がやってきますね。夏の食べ物の代表格は、みりんと醤油の「鰻の蒲焼き」。元来、鰻は頭から尻尾に串を刺して塩焼きにしていました。「蒲(がま)の穂」に姿かたちが似ていることから「蒲焼き(がまやき)」と呼ばれた説、焼けた皮の色が樹木の樺(かば)の幹に似ているという説など、「蒲焼き(かばやき)」と言われるようになった理由には諸説あります。

日本では、太古の昔(万葉集にも記載あり)から鰻が食べられていました。江戸時代、当初は塩焼きで食した鰻。タレをよりしみ込ませるため現在のように開いて焼く様になりました。紀州との交流があった千葉県銚子で醤油づくりが始まり、野田に広がり、それに流山のみりんが加わりました。照りや香り甘味が加わったことで味も格段に良くなり、江戸の鰻の蒲焼きは完成されたようです。江戸っ子がつくりあげた味です。寿司でよく言われる「江戸前」という言葉は、元々「江戸前鰻(えどまえうなぎ)」のことを意味していました。特に隅田川・深川で捕れたものは「江戸前」の中でも上物とされ、利根川産は「江戸後(えどうしろ)」、遠くから運んだものは「旅鰻(たびうなぎ)」と区別していたそうです。


調味料歳時記で何度も取り上げられる関東と関西で違う食文化。まさにそれの代表が鰻の調理法です。
関東では、背開き→素焼き→蒸す→再び焼く、蒸すから柔らかい。
関西では、腹開き→焼く→パリッと香ばしい。
武家社会の関東では切腹に通じることのない「背開き」、商人が多い関西では腹を割って話せるということで「腹開き」をするという説があります。でも、関東では蒸す工程があるため、背開きにしたほうが身の厚い背中側に串をさせ、調理中に串が抜け落ちることがないということです。

『土用の丑の日」といえば、「うなぎ」です。そもそも「土用」とは、中国の陰陽五行説による季節の移り変りを表す節目です。各季節の末(立春/立夏/立秋/立冬)前の約18日間が土用であるため、一年に4回あります。では「丑に日」は?かつては十二支は日常的に日付・時刻・方角にも用いられてきました。なので、12日に1回やってくる丑の日と土用が重なるときが「土用の丑の日」となります。巡り合わせによっては、今年2013年のように2回になる(7月22日/8月3日)こともあります。でも、なぜ土用の丑の日に鰻を食べるようになったのか。江戸時代の蘭学者・平賀源内が夏場の営業不振に悩んでいた鰻屋に相談され、「本日、土用の丑の日」と張り出したところ大繁盛したのが始まりとされ、その後土用うなぎブームが広がったという説が有力のようです。なんだかバレンタインデーと同じような感じだったのですね。

夏は食欲が衰退し、体調をくずしがちになります。鰻は抵抗力を高めるビタミンA・Eを含み、また疲労回復に効果がある、B1・B2・血液をさらさらにするDHA・IPA・ミネラルなどスタミナ補給にぴったりです。現在日本で食されているものは99%養殖もの。けれど養殖技術の向上とともに、味がよく天然物にも負けない鰻が主流となりました。ちなみ天然物は産卵に向けて脂ののった秋が旬ということです。そもそも鰻の稚魚は、マリアナ諸島で生まれた後、海流にのって日本にやってくるそうです。その生態には謎が多く、解明されていないとのこと。先日TVのニュースでニホンウナギを絶滅危惧種としてリストに載せるか検討を始めるとありました。消費者としてはすこしでも安く美味しい鰻が食べたいですが、限られた資源、大切にしていきたいですね。

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2013年6月5日水曜日

佃煮のあれこれ/調味料歳時記

浅蜊の佃煮は調味料を使った保存食。浅蜊は今頃が旬の名残(旬の最終盤)ですが、潮干狩りはまだ楽しむことができます。潮干狩りは春から初夏のレジャーですが、江戸時代でも浮世絵にも描かれるほどです。江戸時代の書物『東都歳時記』には人気スポットとして佃島沖が登場します。


「本能寺の変」の際、徳川家康は苦境に遭遇。その時家康公を助けたのが、摂津・佃村(現在の大阪府西淀川佃)の漁民でした。川を渡る船と、備蓄していた小魚煮を道中食として提供。その縁がもとで佃村の漁民を江戸に呼び寄せ、特別に漁業権を与えました。彼らが移住した土地が佃島。まさに「佃煮」発祥の地です。(諸説あるようです。)江戸前の新鮮な魚を幕府へ献上し、残った雑魚で商いをしていました。漁に出れない時のために、雑魚を醤油炊き(当初は塩味であったが佃煮は、すでに普及していた醤油やみりんなどで煮詰める)して保存し、それを売り出します。そのうち雑魚だけではなく、他の小魚も煮込みます。佃煮は、日が経つにつれ味がなじみ美味しくなることに気がつき、それが江戸の名物に発展します。さらには参勤交代の武士が江戸土産として国元に持ち帰ったことで全国に広まったとされます。

明治時代に入り、西南戦争・日清戦争・日露戦争などでは工場での生産体制が発展し軍事食へ、戦後帰宅した兵士が戦場で食べた江戸前の佃煮になじんだことで一般家庭にも広まっていきます。塩・味噌・醤油などは素材を保存するのに適している故に、
調味料は兵糧とともに発展してきた過去があります。

ちなみに佃煮には名称が何種類かありますが、それぞれ独自の文化があったようです。
佃煮  /小魚、貝類など醤油、砂糖、みりんなどで味濃く煮しめる
甘露煮 /小魚や果物など砂糖とみりん、または蜜、水飴などで甘味をつける
しぐれ煮/貝類などにしょうがなどの香味を加えてたまり醤油で煮しめる
くぎ煮 /関西で小女子の佃煮のことをさびた釘に似ているためくぎ煮と呼んでいる

保存食としての重要なことは煮込みと冷却があることです。煮込むことによって原料の水分が調味液と置き換わり、味付けと同時に脱水がおこなわれます。冷却することで水分を蒸発させ、原料に調味液の皮膜をつくることで保存性を高めます。さらに醤油に熱が加わることにより香りが一層引き立ち、中に含まれている多種類のアミノ酸等が反応してうまさを出します。佃煮は、あのしょっぱさが日本人の主食であるお米と相性が良く、江戸の郷土料理です。

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2013年5月28日火曜日

梅と、さしすせそ/調味料歳時記


今年は季節の移り変りが早く、関東地方も、もうすぐ梅雨入りしそうですね。「梅雨(つゆ)」と呼ばれるようになった理由は、諸説あるようです。「露(つゆ)」に由来するという説。梅の実が熟す時期「つはる」に由来するという説。梅の実が熟し潰れる時期「漬ゆ(つゆ)」との関連を指摘する説など…。四季のある日本では、季節の変化に伴い雨のよく降る時期があります。その「梅雨」の語源の「梅」がまさに旬を迎えます。「梅」は三毒を絶ち、その日の難を逃れると言われています。三毒とは、食べ物の毒、血の毒、水の毒です。

古来より梅の効能は認められていますが、現代では下記のような働きがあることが分かっています。

1 クエン酸などの有機酸による疲労回復に優れた効果
2 クエン酸などの有機酸によるカルシウムの吸収促進
3 糖とクエン酸が、加熱することで生まれる「ムメフラール」という成分の
  血流改善効果
4 代表的なアルカリ性食品のため、酸性になりがちな体を中和できる
5 唾液の分泌を促進することにより、唾液に含まれる消化酵素やホルモンが、
  血管の若さを保ち、また皮膚や毛髪の発育を助ける
6 梅干しのカテキン酸は強力な殺菌効果あるので、
  お弁当のご飯などを腐りにくくする、また胃腸内の病原菌の細菌や繁殖を抑える

他にもまだまだ効能・効果はあります。現代は科学的に証明できることが増えていますが、効き目を経験で感じ取り、それを今の世まで伝えてくれた先人達の知恵に感謝ですね。

梅干し、梅酒、梅シロップなど、梅にまつわる作業をいわゆる『梅しごと』といいますが、これからがまさにその季節です。写真の梅シロップの材料は、梅と氷砂糖のみ。酸っぱさと甘さを楽しめる、夏を乗り切る、我が家の定番ドリンクです。



そして、梅とさしすせそ(砂糖/塩/酢/醤油/味噌)は大の仲良し!
さ/梅シロップ、梅の甘露煮、青梅の砂糖漬け、梅ジャム、梅酒
し/梅干し
す/梅サワー、梅の甘酢漬け
せ/梅しょうゆ
そ/梅みそ
梅は、店頭に出回る期間が限られているので「梅カレンダー」を作って今年はいろいろ挑戦してみましょう。

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2013年5月21日火曜日

鰹の物語/調味料歳時記


目には青葉 山ほととぎす 初鰹」。初夏を代表する風物詩が並んだ、江戸時代の俳人・山口素堂が詠んだ句です。春から夏にかけて黒潮にのって北上し、今頃関東で水揚げされる鰹を古くは「初鰹」と呼んでいました。江戸では初物を食べることを粋とされ、75日長生きするとの言い伝えがあり、その中でも勝男の縁起物とされた初鰹はその10倍・750日長生きすると言われました。その為、初鰹は高値になります。当時は芥子をつけて食べたので、芥子をつけて食べたので、高値と芥子で二度涙する…という川柳が残っているほどです。なお鰹漁は、醤油の製法と共に紀州から伝えられたものでした。



縁起物としては珍重されますが、傷みが早く保存がきかないため近海にやってこない限り町民は食べることができませんでした。関東近海にくるまさにその時を狙って獲ったのが初鰹です。黒潮と親潮の混合水域となる三陸沖は餌が豊富にあるため、夏の間留まった鰹は栄養をたっぷりと蓄えて、大きくなって今度は秋に南下します。これが「戻り鰹」となります。実際には脂がのって美味しいのは、この戻り鰹です。身が締まって軽やかな香りのある初鰹を好んだとされますが、わざわざさっぱりしたほうを選ぶ当たりが、江戸っ子特有のやせ我慢なのかも知れませんね。

江戸っ子と同様に初鰹を好んで食べたのが当時の土佐の人々。鰹のたたきの発祥の地とされ、醤油が貴重品だったことから、当初は塩をふって食べたと伝承されています。土佐の鰹の歴史は、初代土佐藩主山内一豊が生の鰹を食べて食中毒になった領民に刺身禁止例をだしたため、表面を焼くことで焼き魚と偽って食べた説と漁師が船上で食べていたまかない料理説、諸説あるようです。今もなお、醤油と酢/醤油とゆず酢/醤油のみ/酢みそなど、地域によって伝えられてきた調味料(タレ)が違います。江戸っ子も土佐の人々も、より美味しく食するために調味料を用いたのですね。

一方、太平洋から離れていた関西地方では、保存食つまり鰹節の歴史を辿ります。「勝男武士」の文字が充てられ、こちらも縁起のよい食材として好まれました。鰹節は、釜で煮て干して表面にカビを繁殖させて、それを削って乾かしてまたカビを繁殖・・・多くの工程を要することで高級品となりました。鰹節のイノシシ酸が、北前船で運ばれてきた昆布のグルタミン酸と出会い京料理のような「出汁」を基本とする関西の料理が生まれてきたようです。

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2013年5月13日月曜日

田楽からおでん/調味料歳時記

地域によって違いますが、5月は田植えの時期。今年も秋には田んぼが黄金色になるでしょう。平安時代、農村では田植えの時に笛や太鼓を鳴らして歌い踊る風習、「田楽」(諸説あるなかの一説)がありました。やがて舞いを職業にする田楽法師が現れます。白い袴を履き、その上に色のついた上着を羽織った衣装で鷺足(竹馬の様なもの)に乗り踊る。豆腐=白袴/色付きの上着=味噌/鷺足=串、田楽法師の衣装にそっくりなことから、豆腐の串焼きのことを「田楽豆腐」略して「田楽」と呼ぶ様になりました。その後、室町時代に、すり鉢が登場し味噌をすり潰して調味料として使う様になり、味噌を塗って焼いた「味噌田楽」が誕生します。



やがて御所で使われていた女房ことばが広がり、田楽は「おでん」と呼ばれるようになります。串焼きの手軽さから村から村へ広がり、食材もこんにゃくや野菜、魚など様々な田楽が生まれます。その後、江戸時代には煮込み田楽が登場し、素材を出汁で温め甘味噌をつけて食べる様になりました。さらに江戸近郊ではしょうゆ・みりん醸造が盛んになっていたので、かつおだし/醤油/砂糖/みりんを入れた甘い汁で煮込むようになり、「おでん」が登場しました。江戸後期には現代のようなおでんになったようです。せっかちな江戸っ子には豆腐田楽よりもおでんのほうが都合がよかったのかも知れませんね。関東から関西へ伝わったおでんは「関東煮(かんとうだき)」といわれます。これは焼き田楽と区別するためだったいう説もあります。その後のおでんは各地で出汁/醤油/具材などが複雑に変遷をとげ、独自の食文化が形成されていきます。味噌も醤油も味覚の基本味・五味がそろっていると言われています。田楽・おでんともに全国に広がっていったのは 必然的だったのかも知れません。




先述の田楽法師らが舞った「田楽」は芸能の意味もあります。食べ物とは別な歴史を歩みます。鎌倉時代には流行ったものの室町時代には衰退します。それでも現代でも全国各地で踊り系のもの、田はやし系のものが神社などで民族芸能として行われています。

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2013年5月7日火曜日

端午の節句 柏餅と粽/調味料歳時記

「端午の節句」にいただく「柏餅」。柏餅は歴史的には江戸時代の徳川幕府、第9代将軍家重・第10代将軍家治あたりに登場します。「柏」は、古来から神聖な木とされていて、新芽が育って出ないと古い葉が落ちない。ということから、家系が途絶えない・子孫繁栄に結びつけ、端午の節句の縁起の良い食べ物とされたそうです。

当初あんの中身は「塩あん」でしたが、江戸時代後期には「小豆あん」「味噌あん」も知られるようになりました。そのなかでも『味噌あん』、これは砂糖が広く使われるようになる以前の名残りです。その原型は平安時代の「葩餅(はなびらもち)」だと伝えられ、さらに古くなると奈良時代の「伏兎(ふと)」と言われたようです。本来は柏の葉を表に包むのが味噌あんで、裏を外側にすると小豆あん入りというのが正式。白あんに白味噌を加えた味噌あんは、東京を中心とした関東地方と、白味噌の食文化圏である京都での定番で、全国的ではありません。なお、柏の木は関西以西には自生していなことで、種類の違う葉を使うことがあるようです。

つぎに、同じく「端午の節句」にいただくものに「粽(ちまき)」があります。こちらは平安時代に中国からの伝来、屈原(くつげん)という詩人の方の悲しいお話が中国で言い伝えられています。粽を食べる風習は柏餅より先に全国へ広がっていたものの、柏餅の出現により、幕末には関東が柏餅、関西が粽となりました。実は今回、下記の粽の写真を用意するため、地元を数件回ったものの扱ってなく、羊羹で有名な虎屋さんで予約して入手したほどでした。関東では手に入りにくいことが今回改めて知り得ました。

最後に菖蒲も端午の節句には欠かせません。菖蒲には、古来から邪気を祓うと力があると信じられていたことに関係があります。さらに柏餅も登場した江戸時代は武家社会ですから、「菖蒲(しょうぶ)」が武を重んじる「尚武(しょうぶ)」を同じこと読みから尚武の節句としても祝われるようになりました。男の子の「端午の節句」と同じように女の子の「桃の節句」も謂れや風習が多く残っていますね。当時は、子供達がすくすくと成長していくことが今のようではなかったでしょうから、子供達の成長を祈って節句を祝うということはとても大事なことだったのでしょう。

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2013年4月30日火曜日

桜餅 長命寺と道明寺/調味料歳時記

今年はとても早かった春の訪れですが、その桜の季節に食べるのが「桜餅」。桜餅は「塩」漬けした桜の葉に包まれています。葉は今頃から8月頃までの収穫されます。軟らかく産毛が少ないということで、主な種類は大島桜。西伊豆の松崎町で全国需要の7割を生産しています。大きな樽の中で半年ほど塩漬けすることにより、生の葉には無いクマリンという芳香成分が生まれ、独特の風味を醸し出すのです。そして葉っぱのしょっぱさが餡の甘さを引き立たせます。


ちなみ桜餅には関東風の「長命寺」と関西風の「道明寺」の2種類があります。小麦粉を水で溶いたものを薄く延ばし、それで餡を巻いたものが長命寺。山本やの初代山本新六が享保2年(1717年)、隅田堤の桜の葉を樽の中に塩漬けして、桜餅を考案し、江戸向島の長命寺の門番にて売り始めたことが長命寺の由来だそうです。ちなみに桜の葉をそのまま食べるのが江戸っ子の粋だそうですが、上記のクマリンには毒素があるので食べ過ぎない方が良いようです。



一方、もち米を蒸して乾燥させ粗挽きした道明寺粉で皮を作り包んだものが、道明寺。大坂(大阪)の道明寺で戦国時代から武士の携帯食として(ほしいい/糒/干し飯)が作られていたことで寺の名をとって道明寺と呼ばれてるようです。



私は生まれてからずっと関東地方で住んでいますが、ここ数年は道明寺のほうをよく見かけるような気がします。調味料はその地方ごとの味わいが違うことがよくありますが、和菓子でも同じことがいえるのですね。

2013年6月1日(土)つくばエクスプレス/流山おおたかの森駅前にて森のみりんマルシェというイベントを開催。そのイベントにおいてみりんのワークショップを担当します。流山市・森のマルシェのfacebook『調味料歳時記』というコラムを執筆しています。このブログと相互リンクされていますのであわせてご覧ください。
http://www.facebook.com/morinomarche

『ゆるり味覚探訪』とは

人間は5つの感覚を感じることができます。視覚・聴覚・嗅覚・触覚、最後に味覚。

そのなかでも味覚は味を認知することができる感覚です。味覚も5つにわけることができます。甘味・塩味・酸味・苦味・うま味が基本味とされています。各投稿の内容については、5つの基本味マークを使って私なりに分類してお伝えします。



このブログでは調味料をとおして、ゆるりとした味覚の旅に皆様をご案内します。さあ、味覚の世界へ一緒に旅立ちませんか?

          
   



はじめまして



はじめまして。
2013年から調味料マイスターとして本格的に活動を開始しました石川貴代と申します。なお、調味料マイスターとは、日本野菜ソムリエ協会が育成及び認定している資格です。

以前は美味しいものは好きだけど、「食」について深く興味があるとはいえませんでした。家族や私自身が体調を崩しこと、また震災により食の安全や流通の問題が明らかになったこと、「食」に対して真剣に向き合わなければならない状況がいくつもありました。

丁寧に出汁をひいた味噌汁はとても味わいが深いです。調味料は、じっくり時間をかけて作られるものが多く、作り手の愛情が込められています。その奥深さに触れたことで、お料理が楽しくなりました。上質な調味料は素材のチカラを最大限に引き出します。そんな調味料の魅力をこのブログを通し、より多くの人にお伝えしたいと思っています。